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2017年9月26日 (火)

『'82 北の詩集』

調べものをして、『'82 北の詩集』(北の詩集刊行委員会編集・発行、1982年7月10日)をみたら、畠山義郎さんの「県北の詩人たち」という序文があった。小生が知らない詩人も多く、紹介しておく。
それにしても、このようなアンソロジーが、他の地域には見当たらないことをみると、それだけの詩人が県北にはいたということなのだろう。

     「県北の詩人たち」    畠 山 義 郎

 戦前、県立鷹巣農林学校でその芽を育てた稲村容作がある。彼は仙北郡西仙北町の出身であり、本名を木村忠司というが、押切順三の先輩として県の農業団休に奉職中詩作し、大戦に召集され戦死した。秀れたプロレタリヤ詩人であった。戦後間もなく、小坂町出身の真壁新之助は、新潟県の浅井十三郎の主宰する「詩と詩人」の同人として活躍した。大島栄三郎(仙北郡田沢湖町出身、札幌に転じて数年前に死亡)と私と三人が秋田県在住の同人であったが、これまたプロレタリヤ詩人として頭角をあらわしたが、間もなく消えた。死亡したものと思われる。戦中、私は若くして亡くなった実兄の奥山粂太郎とともに詩誌「詩叢」を月刊で出した。出版統制で発表の場を喪った若者が全国的に参加、秋田県からは柴田正夫、加才信夫、近江葭夫、新田欽治らが参加したが、昭和十八年春特高の弾圧で廃刊した。戦後「詩叢」の残党である柴田正夫、近江葭夫、柳原真砂夫らが集って秋田市から「奥羽詩人」が出る。これに疎開や引揚げの沢木隆子、奥山潤らも加わり交流を深めた。のち奥山潤が北秋に転じ第一次「密造者」発刊となる。その前奥山潤は大館市で「アン・コタン」を主宰、市立栗盛図書館で詩展を催したりし、堤徹志、柳原真砂夫、佐藤博信らが参加した。能代市から「肩を組む人」が出され、湊十三蔵が主宰、後花輪から田中正志ら若いグループが育ち、小坂町から磐城葦彦が出る。「密造者」の亀谷健樹は奥山潤や後にきみまち坂公園に詩碑が建立されたあんべ・ひでお(二ツ井町出身・獏編集同人)らと接触した。奥山潤が病気で編集不可能になり、亀谷と簾内敬司に担当してもらって第二次「密造者」が出る。昭和四十年代になると砂室圭があらわれ、越後谷信義、柏広子、成田豊人らと、しばらく影をひそめていた佐藤博信が輩出する。方言詩人としての福司満が抬頭するとともに二ツ井町から小玉琢夫、小玉勝幸らもあらわれる。合川町出身の稲山純子が東京で活躍しているのも注目に価する。白鳥邦夫、鈴木元彦、野添憲治など、詩人以外の詩人の活躍も特色と言ってよい。
 以上断片的であり、年表的なものを精査する暇もなく記憶を辿った。他にとりあげなければならない人も多いが、別の機会にしたい。

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