2019年5月18日 (土)

詩の勉強会「ピッタの会」

矢代レイさん主催、「第5回ピッタの会」があきた文学資料館で開かれた。講師は、若木由紀夫氏。演題は「今、現代詩はどう見られているか」。

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第5回 講師若木由紀夫氏

 

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第4回 田口映氏、十田撓子氏、成田豊人氏(コーディネーター)による鼎談。演題は「今、詩を書く事とは」

 

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第3回 講師に若木由紀夫氏を予定していたが、身内の不幸のため、集団討議に。若木氏推薦の荒川洋治「美代子、石を投げなさい」を取り上げ、意見交換。

 

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第2回 講師成田豊人氏、演題「田中冬二、寺山修司、谷川俊太郎について少し」

 

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第1回 講師前田勉氏、演題「詩と詩人たち」

2019年1月 8日 (火)

詩集『雪の雫』書評

寺田榮子詩集『雪の雫』が、1月7日の秋田魁新報で紹介されました。クリックで大きくなります。
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2018年12月 9日 (日)

『天空のインカ』書評

秋田魁新報11/21に齋藤牧雄さんの『天空のインカ―随筆と詩』が紹介されました。(画像をクリックすれば、大きくなります。)
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詩集『梟の森』書評

秋田魁新報11/9に、小林康子さんの詩集『梟の森』が紹介されました。(画像をクリックすれば、大きくなります。)
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2017年10月 9日 (月)

「舫」の山本かつたかさん、ご逝去

「舫」秋田事務局の伊藤さんから、東京の発行人山本さんに、同人の木内さんの訃報の連絡がされた。

その後、山本さんのご遺族から、秋田県現代詩人協会事務局に、山本さんが5月31日に亡くなっている旨のご連絡があり、遺言で、暮れまで知らせるな、ということだったようだ。

山本さんには、お会いしたことはなかったが、「舫」でお世話になっていたし、連載していた、坂崎家の歴史も、興味深いものだった。

また、「海市」を送付すると、すぐに感想を送ってくれた。

謹んで山本さんのご冥福をお祈りいたします。合掌

2017年10月 5日 (木)

木内むめ子さん、ご逝去

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 木内むめ子さんが、10月2日、亡くなられた。10日ほど前に、『海図詩集』の校正でうかがったばかりだった。その時もお元気で、ご自身では弱ってきたとはおっしゃっていたが、そんな雰囲気は少しもなかったのに。

 写真は、2013年、同年生まれの畠山義郎さんを合川の施設にお見舞いにいったときのもの。

 木内さん、これまでお世話になりました。安らかにお休み下さい。合掌

2017年9月26日 (火)

『'82 北の詩集』

調べものをして、『'82 北の詩集』(北の詩集刊行委員会編集・発行、1982年7月10日)をみたら、畠山義郎さんの「県北の詩人たち」という序文があった。小生が知らない詩人も多く、紹介しておく。
それにしても、このようなアンソロジーが、他の地域には見当たらないことをみると、それだけの詩人が県北にはいたということなのだろう。

     「県北の詩人たち」    畠 山 義 郎

 戦前、県立鷹巣農林学校でその芽を育てた稲村容作がある。彼は仙北郡西仙北町の出身であり、本名を木村忠司というが、押切順三の先輩として県の農業団体に奉職中詩作し、大戦に召集され戦死した。秀れたプロレタリヤ詩人であった。戦後間もなく、小坂町出身の真壁新之助は、新潟県の浅井十三郎の主宰する「詩と詩人」の同人として活躍した。大島栄三郎(仙北郡田沢湖町出身、札幌に転じて数年前に死亡)と私と三人が秋田県在住の同人であったが、これまたプロレタリヤ詩人として頭角をあらわしたが、間もなく消えた。死亡したものと思われる。戦中、私は若くして亡くなった実兄の奥山粂太郎とともに詩誌「詩叢」を月刊で出した。出版統制で発表の場を喪った若者が全国的に参加、秋田県からは柴田正夫、加才信夫、近江葭夫、新田欽治らが参加したが、昭和十八年春特高の弾圧で廃刊した。戦後「詩叢」の残党である柴田正夫、近江葭夫、柳原真砂夫らが集って秋田市から「奥羽詩人」が出る。これに疎開や引揚げの沢木隆子、奥山潤らも加わり交流を深めた。のち奥山潤が北秋に転じ第一次「密造者」発刊となる。その前奥山潤は大館市で「アン・コタン」を主宰、市立栗盛図書館で詩展を催したりし、堤徹志、柳原真砂夫、佐藤博信らが参加した。能代市から「肩を組む人」が出され、湊十三蔵が主宰、後花輪から田中正志ら若いグループが育ち、小坂町から磐城葦彦が出る。「密造者」の亀谷健樹は奥山潤や後にきみまち坂公園に詩碑が建立されたあんべ・ひでお(二ツ井町出身・獏編集同人)らと接触した。奥山潤が病気で編集不可能になり、亀谷と簾内敬司に担当してもらって第二次「密造者」が出る。昭和四十年代になると砂室圭があらわれ、越後谷信義、柏広子、成田豊人らと、しばらく影をひそめていた佐藤博信が輩出する。方言詩人としての福司満が抬頭するとともに二ツ井町から小玉琢夫、小玉勝幸らもあらわれる。合川町出身の稲山純子が東京で活躍しているのも注目に価する。白鳥邦夫、鈴木元彦、野添憲治など、詩人以外の詩人の活躍も特色と言ってよい。
 以上断片的であり、年表的なものを精査する暇もなく記憶を辿った。他にとりあげなければならない人も多いが、別の機会にしたい。

2017年9月22日 (金)

第2回ピッタの会(矢代レイ氏主催)

『川を釣る』の詩人、矢代レイ氏主催の第2回ピッタの会(詩の勉強会)が、9月20日(水)、あきた文学資料館にて、講師に成田豊人氏を迎え、行われた。
演題は「田中冬二、寺山修司、谷川俊太郎について少し」。
小生(写真担当)は、仕事で最初と最後しか、参加できなかったが、活発な意見交換がなされたとのこと。

当日の資料によれば、田中冬二は五年間、秋田で暮らしたとあった。

《1896年、父親の転勤(安田銀行秋田支店開設の任)で福島市から秋田市に一家で移る。1901年、父親過労で急逝し、一家は上京する。約五年間秋田での生活。》



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2017年8月29日 (火)

秋田水石同好会展

第6回秋田水石同好会展が、8月26日~30日まで秋田市文化会館で開催されている。
いつも、素心会(絵画等)といっしょにやっているが、今回、素心会が80周年記念ということで、歴史的な展示をやっていた。素心会については、パンフに「昭和5年、故武塙三山、田口松圃、花岡青陽、奈良環之助氏等の文人により創られた、県内最初の絵画団体」とあった。
見てみると、亡くなった詩人の絵画があったので紹介する。
藤田励治・野木薫・永井隆一・ぬめひろし。
いずれ、画像をアップしてみたい。

2017年8月27日 (日)

山形一至さん、逝く

山形一至さんが8月21日、亡くなられた。享年83だった。

山形さんには、秋田文化出版社勤務時代に、吉田朗さんの使いで、たしか中通りにあった支払基金の事務所に、詩集『断崖の群』(1977年)の校正を何回か持っていったことがあった。

その後、山形さんが退職して北海道から秋田に帰ったとき、だまし討ちのように秋田県現代詩人協会の事務局長をやらせられたので、事務局の小生は、しばしばお会いした。時々は、打ち合わせを、山形さんの近所の食べ放題の店でしたり、また、夜は山王でカラオケにも行ったりした。

秋田文化出版時代は、エッセイ集『風化しない場所』(2000年)、詩集『種子幻影』(2004年)をつくらせてもらった。

山形さんは昔から活躍していたので、その時交友のあった詩人たちについて書いてほしいと話したところ(「書肆えん通信」に載せたいと思っていた)、さきがけ詩壇の選評や、「密造者」の県内誌評を書いたりしているので、それをまとめたい、というようなことだった。

こんど「密造者」は100号、「日本海詩人」は50号を迎えるので、楽しみにしていたと思われるが、残念だった。

葬儀当日、羽後町の藤原祐子さんから、山形さんを偲んで食べて下さいと、美味しい茄子漬けを頂戴した。

山形さん、安らかにおやすみ下さい。合掌

なお、お墓は保戸野鉄砲町の浄土宗・来迎寺です。押切順三さんや芦野時子さんのお墓もあります。

(追記)

ネットで、検索をかけていたら、以下のようなツイッターの記事があったので紹介する。詩関係の人は読んでいないと思われるので。(誤字が見受けられるが、そのままで)

#全国腎臓病協議会 #ぜんじんきょう NO.265 より

秋田県秋田市 現代詩人 山形一至

 透析はすべてプラス思考で考える。

高校1年生の授業で私を欠かすられ、僕の私がいちばん良いと先生がみんなの前で呼んでくれたのが嬉しくて詩を書くようになりました。当時ノート千篇ぐらいは書いていましたか。

 悩みから詩は生まれる

現代史というのは明日を書く。現在の命を書く、そういうものじゃないかと思います。明日を見込んでいると言うことでしょう。

 好奇心を持つと言う事

僕はエロティシズムの詩、女性の詩を書くことがうまいと言われます。
エロは大事で、僕はエロが好きだから歳をとらないくらいに思っていますよ。だから今だって恋をしても良いと思ってます。この基本は「好奇心)を持つということです。下好奇心がないと書けない。

透析はすべてプラス思考考えます。せっかく与えられた4時間と言う大事な時間に何をやるか、です。僕は読誦し非常にいます。読書は明日を考えるのに非常に役立ちます。

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