2018年12月 9日 (日)

『天空のインカ』書評

秋田魁新報11/21に齋藤牧雄さんの『天空のインカ―随筆と詩』が紹介されました。(画像をクリックすれば、大きくなります。)
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詩集『梟の森』書評

秋田魁新報11/9に、小林康子さんの詩集『梟の森』が紹介されました。(画像をクリックすれば、大きくなります。)
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2017年10月 9日 (月)

「舫」の山本かつたかさん、ご逝去

「舫」秋田事務局の伊藤さんから、東京の発行人山本さんに、同人の木内さんの訃報の連絡がされた。

その後、山本さんのご遺族から、秋田県現代詩人協会事務局に、山本さんが5月31日に亡くなっている旨のご連絡があり、遺言で、暮れまで知らせるな、ということだったようだ。

山本さんには、お会いしたことはなかったが、「舫」でお世話になっていたし、連載していた、坂崎家の歴史も、興味深いものだった。

また、「海市」を送付すると、すぐに感想を送ってくれた。

謹んで山本さんのご冥福をお祈りいたします。合掌

2017年10月 5日 (木)

木内むめ子さん、ご逝去

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 木内むめ子さんが、10月2日、亡くなられた。10日ほど前に、『海図詩集』の校正でうかがったばかりだった。その時もお元気で、ご自身では弱ってきたとはおっしゃっていたが、そんな雰囲気は少しもなかったのに。

 写真は、2013年、同年生まれの畠山義郎さんを合川の施設にお見舞いにいったときのもの。

 木内さん、これまでお世話になりました。安らかにお休み下さい。合掌

2017年9月26日 (火)

『'82 北の詩集』

調べものをして、『'82 北の詩集』(北の詩集刊行委員会編集・発行、1982年7月10日)をみたら、畠山義郎さんの「県北の詩人たち」という序文があった。小生が知らない詩人も多く、紹介しておく。
それにしても、このようなアンソロジーが、他の地域には見当たらないことをみると、それだけの詩人が県北にはいたということなのだろう。

     「県北の詩人たち」    畠 山 義 郎

 戦前、県立鷹巣農林学校でその芽を育てた稲村容作がある。彼は仙北郡西仙北町の出身であり、本名を木村忠司というが、押切順三の先輩として県の農業団休に奉職中詩作し、大戦に召集され戦死した。秀れたプロレタリヤ詩人であった。戦後間もなく、小坂町出身の真壁新之助は、新潟県の浅井十三郎の主宰する「詩と詩人」の同人として活躍した。大島栄三郎(仙北郡田沢湖町出身、札幌に転じて数年前に死亡)と私と三人が秋田県在住の同人であったが、これまたプロレタリヤ詩人として頭角をあらわしたが、間もなく消えた。死亡したものと思われる。戦中、私は若くして亡くなった実兄の奥山粂太郎とともに詩誌「詩叢」を月刊で出した。出版統制で発表の場を喪った若者が全国的に参加、秋田県からは柴田正夫、加才信夫、近江葭夫、新田欽治らが参加したが、昭和十八年春特高の弾圧で廃刊した。戦後「詩叢」の残党である柴田正夫、近江葭夫、柳原真砂夫らが集って秋田市から「奥羽詩人」が出る。これに疎開や引揚げの沢木隆子、奥山潤らも加わり交流を深めた。のち奥山潤が北秋に転じ第一次「密造者」発刊となる。その前奥山潤は大館市で「アン・コタン」を主宰、市立栗盛図書館で詩展を催したりし、堤徹志、柳原真砂夫、佐藤博信らが参加した。能代市から「肩を組む人」が出され、湊十三蔵が主宰、後花輪から田中正志ら若いグループが育ち、小坂町から磐城葦彦が出る。「密造者」の亀谷健樹は奥山潤や後にきみまち坂公園に詩碑が建立されたあんべ・ひでお(二ツ井町出身・獏編集同人)らと接触した。奥山潤が病気で編集不可能になり、亀谷と簾内敬司に担当してもらって第二次「密造者」が出る。昭和四十年代になると砂室圭があらわれ、越後谷信義、柏広子、成田豊人らと、しばらく影をひそめていた佐藤博信が輩出する。方言詩人としての福司満が抬頭するとともに二ツ井町から小玉琢夫、小玉勝幸らもあらわれる。合川町出身の稲山純子が東京で活躍しているのも注目に価する。白鳥邦夫、鈴木元彦、野添憲治など、詩人以外の詩人の活躍も特色と言ってよい。
 以上断片的であり、年表的なものを精査する暇もなく記憶を辿った。他にとりあげなければならない人も多いが、別の機会にしたい。

2017年9月22日 (金)

第2回ピッタの会(矢代レイ氏主催)

『川を釣る』の詩人、矢代レイ氏主催の第2回ピッタの会(詩の勉強会)が、9月20日(水)、あきた文学資料館にて、講師に成田豊人氏を迎え、行われた。
演題は「田中冬二、寺山修司、谷川俊太郎について少し」。
小生(写真担当)は、仕事で最初と最後しか、参加できなかったが、活発な意見交換がなされたとのこと。

当日の資料によれば、田中冬二は五年間、秋田で暮らしたとあった。

《1896年、父親の転勤(安田銀行秋田支店開設の任)で福島市から秋田市に一家で移る。1901年、父親過労で急逝し、一家は上京する。約五年間秋田での生活。》



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2017年8月29日 (火)

秋田水石同好会展

第6回秋田水石同好会展が、8月26日~30日まで秋田市文化会館で開催されている。
いつも、素心会(絵画等)といっしょにやっているが、今回、素心会が80周年記念ということで、歴史的な展示をやっていた。素心会については、パンフに「昭和5年、故武塙三山、田口松圃、花岡青陽、奈良環之助氏等の文人により創られた、県内最初の絵画団体」とあった。
見てみると、亡くなった詩人の絵画があったので紹介する。
藤田励治・野木薫・永井隆一・ぬめひろし。
いずれ、画像をアップしてみたい。

2017年8月27日 (日)

山形一至さん、逝く

山形一至さんが8月21日、亡くなられた。享年83だった。

山形さんには、秋田文化出版社勤務時代に、吉田朗さんの使いで、たしか中通りにあった支払基金の事務所に、詩集『断崖の群』(1977年)の校正を何回か持っていったことがあった。

その後、山形さんが退職して北海道から秋田に帰ったとき、だまし討ちのように秋田県現代詩人協会の事務局長をやらせられたので、事務局の小生は、しばしばお会いした。時々は、打ち合わせを、山形さんの近所の食べ放題の店でしたり、また、夜は山王でカラオケにも行ったりした。

秋田文化出版時代は、エッセイ集『風化しない場所』(2000年)、詩集『種子幻影』(2004年)をつくらせてもらった。

山形さんは昔から活躍していたので、その時交友のあった詩人たちについて書いてほしいと話したところ(「書肆えん通信」に載せたいと思っていた)、さきがけ詩壇の選評や、「密造者」の県内誌評を書いたりしているので、それをまとめたい、というようなことだった。

こんど「密造者」は100号、「日本海詩人」は50号を迎えるので、楽しみにしていたと思われるが、残念だった。

葬儀当日、羽後町の藤原祐子さんから、山形さんを偲んで食べて下さいと、美味しい茄子漬けを頂戴した。

山形さん、安らかにおやすみ下さい。合掌

なお、お墓は保戸野鉄砲町の浄土宗・来迎寺です。押切順三さんや芦野時子さんのお墓もあります。

(追記)

ネットで、検索をかけていたら、以下のようなツイッターの記事があったので紹介する。詩関係の人は読んでいないと思われるので。(誤字が見受けられるが、そのままで)

#全国腎臓病協議会 #ぜんじんきょう NO.265 より

秋田県秋田市 現代詩人 山形一至

 透析はすべてプラス思考で考える。

高校1年生の授業で私を欠かすられ、僕の私がいちばん良いと先生がみんなの前で呼んでくれたのが嬉しくて詩を書くようになりました。当時ノート千篇ぐらいは書いていましたか。

 悩みから詩は生まれる

現代史というのは明日を書く。現在の命を書く、そういうものじゃないかと思います。明日を見込んでいると言うことでしょう。

 好奇心を持つと言う事

僕はエロティシズムの詩、女性の詩を書くことがうまいと言われます。
エロは大事で、僕はエロが好きだから歳をとらないくらいに思っていますよ。だから今だって恋をしても良いと思ってます。この基本は「好奇心)を持つということです。下好奇心がないと書けない。

透析はすべてプラス思考考えます。せっかく与えられた4時間と言う大事な時間に何をやるか、です。僕は読誦し非常にいます。読書は明日を考えるのに非常に役立ちます。

2017年8月24日 (木)

藤原祐子さんの詩「編み笠をかぶれば」

「秋田に恋っこ ロサンゼルスの日々と秋田自慢と」というブログがあり、作者は「ロサンゼルス暮らしも30年。田植えから稲刈りもした秋田の田んぼの出身。秋田が恋しい。秋田ファンが世界に広がってゆきますように」とある。

2017年8月17日の「お盆恋しやかがり火恋し まして踊り子なお恋し」で、藤原祐子さんの詩「編み笠をかぶれば」のほか、西馬音内盆踊りや、絵はがきも紹介されています。
ぜひ、ご覧ください。

2017年7月 6日 (木)

小野昭太郎水石展

漢詩集の著者、小野昭太郎さんの水石展が、秋田市の「さきがけホール」(秋田魁新報社)で7月4日から、9日まで開かれています。ぜひ、ご鑑賞ください。

「日本水石協会」のホームページから

《水石の概念を理解するうえで、非常に参考になる書籍のひとつとして、川端康成氏の「美しい日本の私」という本が挙げられます。この名文には、ことさらに日本美を好み、また体現していた川端氏の考え方が非常に端的に分かりやすく記述されており、この一冊を理解できればおのずから水石という概念も理解が進むと思われます.
   ここでその中の一部を引用させていただきたいと思います。

"日本の庭園もまた大きい自然を象徴するものです。(中略)日本の造園ほど複雑、多趣、綿密、したがってむずかしい造園法はありません。「枯山水」といふ、岩や石を組み合わせるだけの法は、その「石組み」によって、そこにはない山や川、また大海の波の打ち寄せる様までを現はします。その凝縮を極めると、日本の盆栽となり、盆石となります。「山水」といふ言葉には、山や水、つまり自然の景色、山水画、つまり風景画、庭園などの意味から、「ものさびたさま」とか、「さびしく、みすぼらしいこと」とかの意味まであります。しかし「和敬静寂」の茶道が尊ぶ「わび・さび」は、勿論むしろ心の豊かさを蔵してのことですし、極めて狭小、簡素の茶室は、かへって無辺の広さと無限の優麗とを宿しております。

   以上かなり長い引用となりましたが、ここで川端氏が述べている事こそ、水石の基本概念に通じている事なのではないでしょうか。
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